そうだよね。
『依存』っていうのは、他人、組織、モノなどに愛情や支持、あるいは保護、援助などを求め、それがなくては生きていくことが困難になってしまう状態なんだよね。
本来はいくつも選択肢があって、必要なときに必要なものを頼るべきなんだけど、ひとつのものに異常に固執してしまうんだ。
『会社に依存』だめゼッタイ。
特に今の時代は『会社依存への注意』が必要だと思う。
そもそも会社で働くという選択肢以外を知らないから選びようがないようにも見えるよね。結果として本人が気づかないうちに依存してしまうケースもかなりあるんじゃないかな。
会社中心主義的な社会システムは一見変化しているようにも見えるけど、残念ながら根っこの部分はぜんぜん変わってないんだ。
相変わらず正社員という働き方がベストなんだという体で政策さえも決定されている。
世間の人たちも正社員だけが一人前の社会人だと見るクソみたいな風潮が21世紀の今現在でも化石の如く残っているよね。
確かに経済成長が果たされているときには一つの会社に『骨を埋める』働き方にもいくらかの合理性があったとは思う。例えばベースアップと定期昇給があり、昇進・昇格とともにさらなる待遇アップが期待されていたからね。
定年までひとつの会社に勤めるという働き方が、さも当然のように思われていたのもわからなくはない。
でも今となっては、ひとつの組織に従属する生き方は本当にリスクの高いものになったんだ。
多くのサラリーマンにとって現在勤めている会社でのスキル、職歴は普遍性を持たず、他の会社ではまったく使い物にならない。
実際に僕も飲食の企業で採用面接をしていたことがあるんだけどね、やっぱり中途半端な経験者よりまっさらな未経験者を好んで採用したもんだよ。
もちろんものすごく専門性の高い経歴やスキルを保持していればその限りではなかったけど、そんな人材はほぼ居なかったね。
サラリーマンの悲劇。
ひとつの組織に『滅私奉公』することが善とされる『イデオロギー』が広まったのは、江戸時代の武士階級からでね、ジツは、ごくごく最近の話なんだ。
戦国時代までの日本では、主君を乗り換えるということはザラにあったんだよ。自分の使える主君が無能だとか、自分を取り立てそうにないと考えれば、後腐れなくサクッと主君を変えてたんだ。
有名なトコだと、羽柴秀吉や明智光秀がその典型例でね、他にも有名な武将で主君をコロコロ変えた人物は沢山いるんだよ。
江戸時代に体制の維持・安定化を図るために導入されたこの『滅私奉公』という『イデオロギー』は究極の終身雇用で、しかも原則的に世襲制なんだ。
この江戸時代に始まったメンタリティが、21世紀である現在にも脈々と続いているの。
まぁでも、世のサラリーマンの人すべてが新卒で入社したときから『滅私奉公』をしようと思ってたわけではないと思う。
多くの人は『こんな会社、踏み台にしてガツガツ成り上がってやるぜーっ!!』って鼻息荒くスキルを身につけ、高めて他企業にいい条件で転職したり、起業したり、フリーランスになることを夢見ていたはずなんだよね。
わざわざ進んで社畜と言われるようなサラリーマン根性にドップリ浸かった働き方や生き方を望んで選択したわけじゃないはずなんだ。
でもいつしかサラリーマンの大多数は、会社という訳のわからない組織に埋没し、その論理に縛られ、年金という名の破綻寸前のネズミ講と、退職時にもらえる雀の涙ほどのお小遣いを拠りどころにして、身動きさえとれない状態に陥ってしまう。
あるいは働き続けているうちに会社という組織に属して働くということはどこの会社でも大差ないと諦めてしまったのかもしれない。
『サラリーマンの悲劇』の本質は、社畜として会社人間的生き方をすることや、ひとつの会社に骨を埋める生き方はリスクが高いと気づきながらも自分の身の振り方が分からないという点なんだ。
もしくは、理解していながらも目を背けてしまうことなんだと思う。
マルチキャリア 10000分の1のパーソン
でもいきなり転職したり起業するのはやっぱり不安だよね。
でもね、要はおサイフ(キャッシュポイント)がひとつしかないから不安な訳であって、単純に増やせばいいんだよ。
収入ラインを複線化すれば会社に依存することはまずなくなるし、いざとなれば起業して身を立ててやるって思えるから、今現在勤めている会社でも、必要以上に上司のご機嫌を伺ったりする必要もないし思い切った発言も出来るようになる。
この国って『稼ぐ』という行為自体がなんだか美しくないイメージがあって特に副業っていうとなんだか銭ゲバみたいになっちゃうよね。
だったら言い方を変えて『マルチキャリア』って考えればいい。
ひとつ面白い考え方を紹介するね。
この考えは僕がまだ会社に勤めていた頃に考えていたことなんだけど。
例えばさ、『10000分の1のパーソン』になるのって大変そうだよね?それって専門家の部類に当てはまるし。
じゃー『100分の1のパーソン』だったら?
ちょっとだけ他より頑張ればいけそうじゃない?
あるところにさ、超一流とは言えないけどそこそこ美味しいお料理が作れる『100分の1のコックさん』が居るとしようよ。
そのコックさんが、超詳しい人たちには敵わないけど『100分の1程度のネットリテラシー』を持ったらどうなるかな?
すっごい上手に飲食の通信販売とか出来そうじゃない?
どう? これって『10000分の1の理論』だと思わない?
だからね、別に単一のことに固執する必要なんてまったくないんだよ。考え方だけで、世界はいくらでも広がるんだ。
サラリーマンに置き換えてみたら答えは自ずと導き出せるんじゃないかな?自分の後ろ盾なんて自分で作れるんだ。
むずかしく考えなくても大丈夫!シンプルにね!